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ソルダムと桑の実のジャムパン。ショコラの夏バージョンです。
土曜日の蚤の市。暑い中のご来店誠にありがとうございました。
そして、子供達のお待ちかね夏休み前の連休最後の日。
お山へgo.
今回は高校生のお姉さんも参加。
中2と高1の女子が来たぞっと地元の中2男子2人に連れられ、花坂1番人気の鳴子川へ根性だめし。
かなりの高さからダイブする。
女子やけどカッコ良かったです。
チビちゃん達はおやつのマカダミアンナッツを金槌で男っぽくワイルドに。
頑張れしっかり割らな食べられへんで~~。
ご飯の用意は火おこしから。
長女のいたる。可愛くお洒落してきたけど持ってるのは火吹き竹。(笑)
汗だくの凄い形相で火をおこしてくれたおかげで美味しく頂けました。
ぜひ、部活を休んで夏の火おこしをお願いしたい。(笑)
帰り道、「蛍の匂いや」と子供達。
蛍の匂いと満点の星を眺め。
3女が一言。
「満足満タン。」
夏休みが始まるよ。
花坂村に集合です。
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人間は本来、「楽しいと心から感じること」をしている時、持っている能力が最大限に出るらしいのですが。
奇跡や喜びが人から与えられていたとしても、「与えられていること」に気がつかなかったら得ることはないし、起こる奇跡も起こらない。
本来の楽しさや喜びを知っているだけで人から見て不幸事でも当人にとってはお構いなくと思っているかもしれない。
誰の目から見ても裕福で賢く、幸せそうに見えていようとその心はどうなのか?
小さな時から「楽しむ」ことを与ええられている子供はトモダチが死んでしまうまでイジメぬき追い込むことはできない。
心があるから。
子供達が幼い頃に住んでいた山の納屋にある日、野うさぎの親子が迷い込んで来ました。
台所でお昼の用意をしていると「かあちゃん、ウサギやっ」と興奮状態の長女。
「捕まえたいっ」と言うので「よしっ。捕まえるか」と3人の子供と母。
納屋に行くと2人の子供達が納屋の前から追い込んでウサギの親子は隅の方で隠れています。
「かあちゃんは納屋の後ろに回って穴が開いてるからそこから捕まえてっ」
「任しとけっ」
と張り切り納屋の後ろに回り込むと彼女が言うように開いた穴からウサギのお尻か見えています。
興奮しながら全員が見守る中、そ~と手を入れグッと掴む。
「やった~~捕まえたでっ」と私。
「わ~やった~」と聞こえてもいいのですが、お通夜のように静かです。
「あれ?」と思い手を抜くと可愛いウサギの尻尾だけが私の手の中に。
ホラーです。
「かあちゃんのあほーーーっ」と皆、蜘蛛の子を散らすように走って逃げ、一人残された私は、あほ呼ばわりされた上、なんて酷いことをしてしまったんだろうと手に残った尻尾を見つめ落ち込んでいました。
そこへ大根を持ってきてくれた近所の爺さんが「縁台で子供ら皆、泣きよるけどうしたんか?」と「私も泣きたいわっ」とちぎれた尻尾を見せると。
「野うさぎの尻尾か?それはいい。あんたんとこは女の子ばかりやから、ええポ~シェ~~ットができる。」とそれでなくてもでかい鼻の穴を全開にし、どや顔で言われた。
「耳は致命的だが尻尾で命を落とすことはなし」と大根を置き帰って行った。
子供達が大きくなった今。
この日のことが強烈に記憶されているようで、一つの命や一つの体の大事さが子供達の心に刻みこまれている。
奇跡や喜びが人から与えられていたとしても、「与えられていること」に気がつかなかったら得ることはないし、起こる奇跡も起こらない。
本来の楽しさや喜びを知っているだけで人から見て不幸事でも当人にとってはお構いなくと思っているかもしれない。
誰の目から見ても裕福で賢く、幸せそうに見えていようとその心はどうなのか?
小さな時から「楽しむ」ことを与ええられている子供はトモダチが死んでしまうまでイジメぬき追い込むことはできない。
心があるから。
子供達が幼い頃に住んでいた山の納屋にある日、野うさぎの親子が迷い込んで来ました。
台所でお昼の用意をしていると「かあちゃん、ウサギやっ」と興奮状態の長女。
「捕まえたいっ」と言うので「よしっ。捕まえるか」と3人の子供と母。
納屋に行くと2人の子供達が納屋の前から追い込んでウサギの親子は隅の方で隠れています。
「かあちゃんは納屋の後ろに回って穴が開いてるからそこから捕まえてっ」
「任しとけっ」
と張り切り納屋の後ろに回り込むと彼女が言うように開いた穴からウサギのお尻か見えています。
興奮しながら全員が見守る中、そ~と手を入れグッと掴む。
「やった~~捕まえたでっ」と私。
「わ~やった~」と聞こえてもいいのですが、お通夜のように静かです。
「あれ?」と思い手を抜くと可愛いウサギの尻尾だけが私の手の中に。
ホラーです。
「かあちゃんのあほーーーっ」と皆、蜘蛛の子を散らすように走って逃げ、一人残された私は、あほ呼ばわりされた上、なんて酷いことをしてしまったんだろうと手に残った尻尾を見つめ落ち込んでいました。
そこへ大根を持ってきてくれた近所の爺さんが「縁台で子供ら皆、泣きよるけどうしたんか?」と「私も泣きたいわっ」とちぎれた尻尾を見せると。
「野うさぎの尻尾か?それはいい。あんたんとこは女の子ばかりやから、ええポ~シェ~~ットができる。」とそれでなくてもでかい鼻の穴を全開にし、どや顔で言われた。
「耳は致命的だが尻尾で命を落とすことはなし」と大根を置き帰って行った。
子供達が大きくなった今。
この日のことが強烈に記憶されているようで、一つの命や一つの体の大事さが子供達の心に刻みこまれている。
昨日は七夕。
星が綺麗に見える七夕はめったにないらしいのですが。
前日の恐ろしく降った大雨と嵐が澄んだ空気に変えてくれたおかげで、
何とも綺麗な星空でしたね。
そして、昨日の七夕フルコースは山の間からでっかいお月様と、満点の星と、
蛍の光付きでございました。
夜の月明かりに満開の蒼い紫陽花は怖いくらい綺麗に白く浮かび上がります。
「夜が明ける前が最も暗い」と云いますが。
日本の今と、この言葉が重なってしまいます。
日本は何処へ向かうのだろう?と野田のおじさんお任せパックを考えるより。。
自分はどうなのか?
何処へ向かうのか。
役割は何か。
行動し、形にし、与え、クリエイトする。
おまかせパックでは。
日本は変わらない。
原子力も変わらない。
自分自身が変わることが、日本を変えるんだ。
6月30日の関電デモ。
2ヶ月間、原発ゼロ知ってましたか?
原発はいらない。
7月1日に福井の大飯が午後9時に再稼動する。
関電から大飯へ。
黙っていると賛成と見なされるので声をあげに行く先では、関電でも政府の人でもなく、機動隊と警官に「再稼動反対」と訴える。
私達の税金で私達を守らず、何を守ってるんだ?
再稼動する前に9ヶ所もの故障。
大阪まで100キロ、和歌山まで150キロ。
原発下の活断層。
原発ひとつで全てが消える。子供でもわかるわ。
再稼動反対と多くの市民が雨の中、朝まで訴えても「原発なしでは日本の未来はない」と稼動させた。
「自分の子供を盾に」「危ないと訴えている原発に子供を連れて行く考えの甘さ」と報道されてますが、甘さではなく、覚悟だろうと現地で感じた。
見て来た事や聞いた事を帰って子供達に話すと「どうして連れて行ってくれなかったのか」と言われた。
「私らは怒ってんねん。原発はやめたと言うてんねん。なんでわからへんのや?」
中2の長女は本当に怒っている。
怒りすぎて昨日は眠れなかったようだ。
帰ってきて道沿いのtutaya渋滞。
暇を潰すために2時間のdvdを見るのか。。
そのdvdを2枚見れば、大飯に着くのにな。と私が見ている現実と彼らの現実には同じ時間が流れているのに皆、命に関心がない。
「温度計が壊れました」「タンクに穴が開いてます」「ストロンチウムが漏れてるようです。」
「4号機が冷えてません」「あと60時間です」これを1年半やっている。
何かあったらどうするんだ?と言ってる訳じゃなく、ぶっ壊れてますよ。動かすどころか動いてなくても危険ですよ。だから要りません。必要な電気は自分達で作りますから。と訴えてるんだ。
大飯原発再稼動をキーに伊方原発が次に動く。
半島にあるやっかいなこの原発は山口県祝島の裏側に40年前レンガ工場を建てると言い、こんなん出来ましたと原発が建った。
祝島の表側、長島ではまた新たに原発を建設中だ。
表と裏が原発に挟まれる。
大飯、美浜、するが、文殊とドミノのように原発が並ぶ。
再稼動した事で私達がへこむと思うのか?
よけいアドレナリンが出るわ。
再稼動しても再稼動に反対だし、声は上げ続けるし、原発なしで暮らしてみせる。
原発は電気に繋がるものではなく、戦争や食の安全や、ワクチンの接種に命のない種など、原発だけでなく騙されてる事全てに反対だ。
愛のない人は権力や利権を守ろうと必死だが、愛だけで動いてる人間の原動力には終わりなんかない。
権力や利権こそ終わらせるべきものだと思う。
壊れたまんまのフクイチ原発と再稼動する原発と瓦礫のばら撒きで、デモ自体が拡散されている。問題のばら撒きで一箇所に集まることが難しい。
occupy.
占拠。
豊かな美しい土地は原発を建てるためのものではなく、豊かさや美しさを維持するために市民が安心して暮らすことができるよう取り戻す。