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山のsion gardenの材料を運んだりするのに、ハコバンが欲しかった。
想いが通じたのか、四国に棲む友達から「ハコバンいらんか~?」の
お電話。(笑)
これで、ガンガン木を運べる。
くまちゃん本当にありがとう。
頂いた他の物も大切に使わせてもらいますね。
彼女とはホントに付き合いが長く、葬式までつきあうんだろううなと。(笑)
昔、昔、互いの家族で田舎の家を探してる時、何度か四国を見に行った。
私達は縁あって和歌山に。
彼女は四国の物部村に自分と同じ名前の渓谷があるからと棲家を構えた。
物部は特に山深い場所で今だに祈祷師がうじゃうじゃ(笑)いてる。
体調が優れなければ、まず、祈祷師のタイユウ(祈祷師は皆タイユウと
呼ばれる)の処へ行き見てもらう。
どこが悪いか見てもらってから病院へ行く。
結婚式も葬式も祈祷も相談も愚痴も皆、タイユウだ。
村で誰かが亡くなると四十九日にはタイユウ特製?の矢を作り、家族と外に出て屋根に向け矢を放す。
たいがい取り巻きの爺さん達が「あっ行った、行った昇っていった」何が?(笑)
魂を、この世からあの世の世界へ未練なく昇天させるための矢だ。
小さい頃はなんか不思議で仕方なかったけど、天川村の私の婆ちゃんは
いつも遊びに行くと「こっちにおいで」と私を呼び、硯で墨をとき筆で左の手の平になんとも綺麗な馬の絵を描く。
そして、その左手を太陽にかざしにいくと、馬の尻尾から煙がでる。
白い閃光のような煙が全部でたら、なにやら唱え背中を3回たたいてお終い。
子供の、癇の虫をとるやりかただったのだろうと思うのですが、大人になってもあの不思議な感覚が残っている。
優しい気丈な祖母だった。
聴きたい事が沢山あったなと今更ながら想う。
婆ちゃんも馬のように昇っていったんだな。
せめて、あの美味しかったキャベツの漬物の作り方ぐらい聞いとけば良かったな~(笑)
今週、土曜日はクリアンさんで出店でございます。
お待ちしております。
生命の樹のハンドメイドタイル。
トルコでこのタイルを見つけた時、このタイルは絶対に台所に貼り付けたいっと思った。
食べるものが体や心を創るのであれば其処には植物であれ、動物であれ
生命を繋ぐ源がとても大切になる。
私の見ている現実は2つある。
自分のやりたい事や子供達に残してあげたい事だけを見て、「今」に感謝して毎日を生きている。
そして、こんなに幸せな日常に見えない放射能を思う。
あの日から、多くの人が2つの現実で生きている。
表と裏があるコインみたいに離れる事がない現実だ。
見えない裏の現実では、原発4基が制御不能。
うち3基は燃料棒が溶け底が抜けているというレベル7を超える史上最悪
の原発人災事故が3ヶ月を過ぎても継続している。
政府が刑事追及されるわけでもなく、メルトスルー後は知らん顔、東電
は嘘ばかり、枝野さんはかくれんぼ?21日には4号機から大量の白煙、
国民は今も被爆中。
そして、原発事故のどさくさにまぎれてモンサント社が遺伝子組み換え作物の開放を狙っている。
「風の谷のナウシカ」には、信頼も絆も愛もあった。
日本には信頼も絆も愛も心もないどころか、リーダーすらもいないじゃないか。
「どうなっていくんだろう?」より「こうなるかもしれない」事に覚悟を決めたらもっと、強くなれるんだろうか?
ぞれぞれの信じる「生命の樹」には花が咲き、実をつけまた種を生む。
命は繋いでいくものだ。
好きな事だけをやっていくって言うのは、「決めた事」を一生懸命やっていくと云う事だと思っている。
でも、「決めた事」の中身の大切さや価値を置く比重は、人ぞれぞれ違うわけで、好きな事だけやっていけるわけがない。と思う人は、ただ、それをしないだけで、こうするべき、ああするべき、ってものもない。
「決めた事」が現実になるだけだ。
そもそも、好きな事に関しては終わりなんてない訳で、それをもっと形にしたいとか、この楽しみを分かち合いたいとか、広がりや深みが好きな事にはプラスされていく。
好きな事を極める。
もう、これしかない。
私に関しては。(笑)
これしか、残ってない。
私の中の私が、「喜ぶ事」は私しか知らない。
一度きりの人生なら、他者の声を聞く前に自分の声をしっかり聴く事だ。
他者は切り離せても、自分は絶対に切り離せない。
自分と一度も話さずに、他者の話を聞く事に一生懸命になってる間に年をとる。
何でもありの人生。
選択肢の自由。
思考の自由。
結果としては、「今」自分が置かれてる現状が、数ある選択肢からのひとつをチョイスした中で生きている。
良いも悪いもない。
いいも、悪いも判断するのは、自分にとって都合がいいか悪いかの判断で
しかないから。
素晴らしい事に、毎日にサインがある。
でも、いくらでも送られてくるサインも、自分の声を聴いてやらなければ
サインにも気づけない。
行きたい場所、生きたい場所、活かされたい場所へ行けるスペシャルチケットは誰でも持っている。
使うか使わないかは自由だけれど。