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大好きな本の中に「ミュータント メッセージ」と言う本があります。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが。。
オーストラリア先住民のアボリジニの部族と一緒に、砂漠を旅する事になった一人の白人女性から見たお話しです。
実話を元に語られているのですが、話の中でアボリジニが食人族であると言う事で感情が高ぶった彼女が彼らを責めるシーンの中で、アボリジニの酋長が言います。
「なら、君達はどうして食べもしない人間を戦争と言う理由で何千、何万人も殺すのか。」と。
家を持たない彼らは、20人程の部族で砂漠を旅し食料はその日に出逢った動物となる。
出逢ったものがトカゲなら生命力を暗示し、蛇なら再生を暗示する。
物事全てには意味があり、好きとか嫌いとか食べられるとか食べられないの思考はなく、全てがギフトなのである。
何日も何日も食べるものに出逢えず、このままでは部族が死に絶えると感じた時、部族の中の誰かが自ら命を差し出すのです。
彼らには、生まれて直ぐに私達が貰えるような名前はなく、ポジション(役割)によって名が決められる。
悩みや相談を受ける人は「魂の女」。
病気や怪我を治せる「癒し手」。など名前と言っても私達が持っている概念ではないのですが。
何を得意とするか、何が出来るかで自分の名前は自分でつけ自分が、名乗るのです。
自分のレベルが上がったと感じれば又、新しい名前にチェンジする。
生きると言う事は、とてもシンプルな事だと思います。
私達が自然に生きようと思う事が実は、不自然な事かも知れませんね。
何かを始める時は何かを終わらせなくてはなりません。
そして、自分にとって最も必要なものを手に入れたいなら、最も必要なものが、何かを知らなければ手に入れる事は出来ません。
身につけている装飾品を全て外し、流行りの服を脱ぎ捨て真っ裸になった時。
貴方に何が残りますか?
「冷え性です」では悲し過ぎる。(笑)
此れから始まるサバイバルに、勝ち負けもないように思う。
在るのは、どんな事があろうと「生きている限り人生は続くのだ」という事だけだ。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが。。
オーストラリア先住民のアボリジニの部族と一緒に、砂漠を旅する事になった一人の白人女性から見たお話しです。
実話を元に語られているのですが、話の中でアボリジニが食人族であると言う事で感情が高ぶった彼女が彼らを責めるシーンの中で、アボリジニの酋長が言います。
「なら、君達はどうして食べもしない人間を戦争と言う理由で何千、何万人も殺すのか。」と。
家を持たない彼らは、20人程の部族で砂漠を旅し食料はその日に出逢った動物となる。
出逢ったものがトカゲなら生命力を暗示し、蛇なら再生を暗示する。
物事全てには意味があり、好きとか嫌いとか食べられるとか食べられないの思考はなく、全てがギフトなのである。
何日も何日も食べるものに出逢えず、このままでは部族が死に絶えると感じた時、部族の中の誰かが自ら命を差し出すのです。
彼らには、生まれて直ぐに私達が貰えるような名前はなく、ポジション(役割)によって名が決められる。
悩みや相談を受ける人は「魂の女」。
病気や怪我を治せる「癒し手」。など名前と言っても私達が持っている概念ではないのですが。
何を得意とするか、何が出来るかで自分の名前は自分でつけ自分が、名乗るのです。
自分のレベルが上がったと感じれば又、新しい名前にチェンジする。
生きると言う事は、とてもシンプルな事だと思います。
私達が自然に生きようと思う事が実は、不自然な事かも知れませんね。
何かを始める時は何かを終わらせなくてはなりません。
そして、自分にとって最も必要なものを手に入れたいなら、最も必要なものが、何かを知らなければ手に入れる事は出来ません。
身につけている装飾品を全て外し、流行りの服を脱ぎ捨て真っ裸になった時。
貴方に何が残りますか?
「冷え性です」では悲し過ぎる。(笑)
此れから始まるサバイバルに、勝ち負けもないように思う。
在るのは、どんな事があろうと「生きている限り人生は続くのだ」という事だけだ。
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